やあやあ、まあ聞いてくれよ。
2026年4月14日、テレビ朝日で放送された「日本探求アカデミックバラエティ 火曜の良純孝太郎SP」がなかなか面白かったんだよ。小泉孝太郎と石原良純のおなじみコンビに、俳優・高橋一生を加えた3人が「江戸城の痕跡」を探す大冒険を繰り広げたわけさ。
しかも驚いたのが高橋一生でね。「石垣や古地図が大好き」と語り、詳しすぎる解説を連発したもんだから、良純も孝太郎もすっかり衝撃を受けてたよ。まさかの歴史マニアっぷり、おじさんは大いに共感したね。
小泉孝太郎って、どんな人物?
小泉孝太郎は1978年2月14日生まれ、神奈川県出身の俳優さ。そう、あの元内閣総理大臣・小泉純一郎の長男でもある。
2002年にドラマ「木更津キャッツアイ」(TBS)で本格的に俳優デビューを果たし、以降は「ビギナー」「コードブルー」など数々のドラマに出演してきた。芸能界入りから20年以上、今やすっかりバラエティでも愛されるキャラクターになっているよね。
一方の石原良純は1962年10月18日生まれ、東京都出身。慶應義塾大学法学部卒業後に俳優・タレントとして活躍し、気象予報士の資格まで持っているという多才な人物さ。お父さんは東京都知事を4期13年務めた石原慎太郎。つまりこの番組、二世タレントの二人に実力派俳優が加わったという、なかなかの豪華メンバーなんだよ。
江戸城の痕跡って何が残ってるの?
ここからがおじさんの出番さ。「江戸城の痕跡を探す」ってことで、東京の街に今もひっそり残る歴史の証拠を番組では紹介したわけだけど、そもそも江戸城がどれだけすごい城だったか、ちょっと聞いてくれよ。
世界最大級だった江戸城
江戸城は1457年、太田道灌によって築かれたのが始まりさ。その後、徳川家康が1603年に江戸幕府を開いてから大改築を重ね、1636年に完成した天守閣の高さは約58メートル。当時の木造建築としては日本最大を誇ったんだ。
総面積は約230ヘクタールにも及び、これはヴェルサイユ宮殿(約800ヘクタール)には及ばないものの、ロンドン塔(約4.9ヘクタール)と比較すれば約47倍という規模だよ。世界的に見ても屈指の巨大城郭だったわけさ。
残念ながら1657年の「明暦の大火」で天守閣が焼失し、以降は再建されることなく現在に至っている。現在の皇居東御苑として公開されているエリアがかつての本丸跡にあたるわけだよ。
東京の街に残る江戸城の名残
ちょっと面白い話をしてあげよう。現在の東京都千代田区一帯には、江戸城の外堀・内堀の跡が今も地形として残っているんだ。
例えば「外濠公園」(新宿区)は1636年に完成した外堀の跡地で、全長約2.6キロメートルの緑道として整備されている。また、現在のJR中央線・総武線が走る「御茶ノ水」付近には、人工的に掘削された神田川の痕跡があり、これも江戸城防衛のために1620年代に整備されたものさ。
高橋一生が語った「石垣」についても、現在の皇居周辺には江戸時代に積まれた石垣が現存している。特に「桔梗門」付近の石垣は17世紀に全国の大名が「天下普請」として積み上げたもので、産地の異なる石が混在しているのがわかるほどなんだよ。
「火曜の良純孝太郎」という番組の魅力
この「火曜の良純孝太郎」、番組タイトルがすでにふざけてるようで実は侮れないんだよ。「日本探求アカデミックバラエティ」と銘打っているだけあって、エンタメと学びを上手く組み合わせたスタイルが人気を集めている。
石原良純の独特のリアクション、小泉孝太郎のツッコミ、そこにゲストが加わる構図は毎回新鮮さを生み出しているね。今回の高橋一生のように「まさかこんな知識があるのか!」という驚きが番組の醍醐味でもあるわけさ。
おじさんに言わせれば、歴史って小難しく語ると途端に眠くなるけど、こうやって「実際に現場を歩く」「古地図を手に持って照らし合わせる」というアプローチが一番効果的なんだよ。江戸城の石垣を目の前にして、400年前の職人の仕事を感じる——そういう体験が歴史を身近にするんだろうね。
まとめ
小泉孝太郎と石原良純、そして歴史マニアの顔を持つ高橋一生が挑んだ「江戸城の痕跡」探し。テレビの前で見ているだけでも東京の歴史の奥深さが伝わってくるよね。
今度、皇居東御苑に行ってみてくれよ。一般公開されていて入場無料、開園は火・水・木・金・土曜日(月・金は閉園)。現存する江戸城の石垣や天守台跡を実際に見れば、高橋一生や孝太郎たちが番組で感じた「江戸の息吹」を君も体感できるはずだよ。
東京に住んでいながら意外と知らない歴史が、街の至るところに眠っているんだ。おじさんはそういう「都市の地層」を掘り起こす作業が大好きでね。まあ、機会があったらぜひ古地図片手に街歩きしてみてくれよ!
うんちくおじさんの豆知識コーナー
「古地図」マニアの高橋一生が語ったかもしれない江戸の地図の秘密!
江戸時代には「江戸図」と呼ばれる城下町の地図が多数作られたんだけど、実はわざと「誤った情報」を入れていたことが知られているよ。これを「目くらまし」と言って、敵に正確な城の構造を知られないようにするための意図的な誤りさ。
また、江戸時代の古地図には現在の地名として残っているものが多い。「神田」「浅草」「品川」「目黒」「世田谷」などはそのままだけど、「馬喰町(ばくろちょう)」は馬の仲買人(馬喰)が集まった場所、「大工町」は大工職人が多く住んでいた地域と、職業や由来がそのまま地名になっているケースが東京には200か所以上残っているんだよ。
高橋一生のように古地図と現在の地図を重ねて見ると、東京という都市が400年以上の歴史の積み重ねでできていることがよくわかる。おじさん的には、これが「都市を読む」醍醐味だと思ってるよ!