やあやあ、今日は函館が誇るあの星形の城郭、五稜郭についておじさんがたっぷり語ってあげようじゃないか。春の五稜郭はサクラが美しいことでも有名だが、それだけで終わらせてはもったいない。あの形には、幕末という激動の時代が刻み込まれているんだよ。
五稜郭って、そもそも何だい?
北海道函館市にある五稜郭は、函館山から約6kmほど離れた函館市のほぼ中央に位置する西洋式城郭だ。正式名称は「箱館御役所」、通称「箱館奉行所」として幕府の蝦夷地統治の中心として機能していた場所さ。
完成したのは1864年(元治元年)のことで、着工は1857年(安政4年)。実に7年の歳月をかけて建造された。「五稜郭」という名前は、星形の角に5つある「稜堡(りょうほ)」という突出部分に由来していて、もう一つ「柳野城(やなぎのじょう)」という別称もある。これは建造地がかつて「柳野」と呼ばれたネコヤナギの生い茂る湿地帯だったからなんだよ。
その規模がまた壮大でね。堀の内側だけで約125,500平方メートル、東京ドームの約3倍の広さだ。水堀の面積は約56,400平方メートル、幅は最大約30メートル、深さは4〜5メートル、外周の長さは約1.8キロに及ぶ。土塁(どるい)の幅は約27〜30メートル、高さは約5〜7メートルという堂々たる構えさ。
なぜ星形なのか?ここが実に面白いんだよ!
おじさんに言わせれば、この星形こそが五稜郭最大の見どころだ。1853年(嘉永6年)、ペリー艦隊が来航して日本の200年以上続いた鎖国体制が崩れ始めた。翌1854年(安政元年)には日米和親条約が締結され、箱館(現・函館)が開港場となったんだ。
外国の軍事的脅威が現実になったこの時代、幕府は「攻められたらどうするか」という防衛の問題を真剣に考えていた。そこで登場するのが、蘭学者・武田斐三郎(たけだ あやさぶろう)だ。彼は箱館奉行の支配下で働いていたんだが、箱館港に入港していたフランス軍艦の軍人から、ヨーロッパの「城塞都市」の話を聞いた。
学んだのが「星形城郭の防御力の高さ」だよ。丸い城壁の場合、大砲で反撃する時にどうしても死角ができてしまう。しかし星形だと、どこから攻められても常に2方向以上から反撃できるんだ。大砲が戦いの主役になっていた時代、これは革命的な防衛設計だった。武田はフランス軍人からの情報に独自の工夫も加えて、あの五稜郭を設計したんだよ。
五稜郭と箱館戦争——幕末最後の戦い
五稜郭といえば箱館戦争(はこだてせんそう)を外すわけにはいかない。ここからが幕末ドラマの佳境だよ。
1867年(慶応3年)、徳川慶喜が「大政奉還」を行い、260年以上続いた徳川幕府が崩壊した。翌1868年(明治元年)1月には京都で鳥羽・伏見の戦いが勃発し、戊辰戦争が始まった。箱館では同年5月、幕府から明治政府への政権移譲が平和裏に行われたんだ。ちなみに五稜郭が正式に箱館奉行所として機能したのは1864年6月から1868年5月までのわずか4年間だよ。
ところが、旧幕府海軍の副総裁・榎本武揚(えのもと たけあき)は違った。彼は当時最強の軍艦「開陽」をはじめとする幕府艦隊を率いて品川沖を脱走し、仙台の松島湾を経由して蝦夷地へ向かった。
そこで合流したのが、かの有名な土方歳三率いる新選組などの旧幕府軍諸隊だ。1868年10月に五稜郭を占拠した彼らは、翌月に「箱館政権(蝦夷共和国)」を樹立。しかし1869年(明治2年)5月の新政府軍との最終決戦で降伏し、箱館戦争は終結した。土方歳三は1869年5月11日、函館市街での戦闘で戦死。彼の死をもって、戊辰戦争は事実上終結したとも言えるんだよ。
まとめ——五稜郭は「時代の変わり目」の証人だ
まあ聞いてくれよ、五稜郭という場所は単なる観光スポットじゃない。ペリー来航から始まる開国、西洋式軍事技術の導入、幕末の動乱、明治新政府の誕生——日本史上最大の転換点のすべてを、あの星形の石垣と水堀が見届けてきたんだよ。
1857年に着工してから約170年。今や特別史跡として国に指定され、年間を通じて多くの人が訪れる函館の象徴だ。函館を訪れる機会があったら、ぜひ五稜郭タワーの展望台から俯瞰してみてくれ。あの星形の全体を一目で見渡した時、おじさんが語ったあれこれが、すべて腑に落ちるはずだよ。それじゃあ、また次の話題でお会いしましょうかね!
おじさんの豆知識コーナー
ちょっと聞いてくれよ、これは面白い話だよ。この「星形城郭」、日本全国にたった2か所しかないんだ!函館の五稜郭と、もう1か所が長野県佐久市の龍岡城(たつおかじょう)だけだよ。ヨーロッパにはそこかしこにある形式の城郭なのに、日本では2か所だけというのは実に興味深いじゃないか。
それからもう一つ。五稜郭の石垣の最上部には「はね出し(武者返し)」と呼ばれる、石が一列飛び出した独特の構造があってね、これが五稜郭の石垣の大きな特徴なんだ。登ってくる敵を跳ね返す工夫で、西洋式と和式の技術が見事に融合した証拠さ。なかなかニクい設計だろう?