やあやあ、まあ座ってくれよ。今日はちょっとばかり熱い話をしようじゃないか。

2027年度は西郷隆盛の生誕200年・没後150年という大きな節目なんだ。鹿児島市がもう官民一体のプロジェクトを動かし始めていてね、参加型の体験イベントやご当地グルメの開発まで計画しているというじゃないか。NHKの「歴史探偵」でも特集が組まれて、「希代のカリスマか、反逆の象徴か」というテーマで取り上げられているほどだよ。それだけ、この男はいまも人々を引きつけてやまないわけさ。

おじさんに言わせれば、西郷隆盛ほど「知れば知るほど面白い」人物はそうそういないね。

幕末最大のカリスマ、その素顔に迫る

西郷隆盛は1828年1月23日(文政10年12月7日)、薩摩国鹿児島城下の加治屋町に生まれた。父・吉兵衛は禄高47石余の下級藩士でね、決して恵まれた家柄ではなかったんだ。

ところが11歳のとき、郷中仲間の喧嘩の仲裁に入ったら、刃が右腕の神経を切ってしまった。これで刀が握れなくなってしまったんだが、ここが西郷の面白いところでね、「ならば学問で身を立てよう」と切り替えたわけさ。この転換がなければ、あれほどの政治家にはなれなかったかもしれない。

薩摩藩主・島津斉彬に見い出されて取り立てられ、当代きっての開明派大名の薫陶を受けた。その後、流罪を2度も経験しながら(奄美大島、沖永良部島)、それでも這い上がってきた不屈のおじさんだよ。

維新の三傑として歴史を動かした功績

西郷は大久保利通・木戸孝允とともに「維新の三傑」と称されている。この三人がいなければ明治維新はなかったと言っても過言じゃないね。

薩長同盟(1866年)

当時、倒幕の二大勢力だった薩摩藩と長州藩は、もともと犬猿の仲だった。その仲立ちをしたのが坂本龍馬で、彼の仲介により1866年に西郷隆盛と長州の木戸孝允が会談し、薩長同盟が締結された。これが後の明治維新への決定的な一手になったわけさ。

江戸城無血開城(1868年)

戊辰戦争が勃発し、新政府軍が江戸城への総攻撃を決定したとき、参謀として指揮を執っていたのが西郷だった。江戸が火の海になる寸前に、旧幕府の勝海舟と直接会談して交渉をまとめ、江戸百万の民を戦火から救った。この度量の大きさは特筆ものだよ。

ちなみに廃藩置県や徴兵制の導入といった明治政府の近代化改革にも中心的な役割を果たしたんだが、1873年に朝鮮外交問題(征韓論)をめぐって大久保らと対立して下野、鹿児島に帰って私学校で教育に専念するようになる。そして1877年(明治10年)、西南戦争の指導者となるが敗れ、9月24日に城山で自刃、49歳の生涯を閉じた。

おじさんのうんちくコーナー:西郷隆盛には写真が1枚も存在しない!

ちょっと聞いてくれよ、これは本当に驚きの事実なんだが、西郷隆盛は写真嫌いで有名で、自身の写真が1枚も残っていないんだ。明治天皇から写真を所望されても断ったというんだから徹底しているよな。

では、あの有名な「西郷さんのお顔」はどこから来たのか?

西郷が亡くなった6年後の1883年、イタリア出身の銅板画家・エドアルド・キヨッソーネが肖像画を描いたんだが、本人とは面識がないから、なんと顔の上半分を実弟の西郷従道、下半分を従弟の大山巌をモデルにして描いたんだ。それが現在一般に広まっている「西郷隆盛の顔」なんだよ。上野の銅像もこの肖像画をもとに作られている。つまり、誰も本当の西郷の顔を知らないということさ!

上野の銅像にも隠された豆知識がある

「上野の西郷さん」として親しまれているあの銅像、実は西郷が亡くなってから21年後の1898年(明治31年)に建立されたんだ。なぜ21年も経ってからかというと、西南戦争で新政府に反旗を翻した西郷は「逆徒」の烙印を押されていてね、1889年(明治22年)に大日本帝国憲法発布の恩赦でようやく名誉が回復されてから、初めて建設計画が動き出したというわけだよ。

銅像本体は彫刻家の高村光雲が手がけ、傍らの愛犬・ツンは後藤貞行が担当した。

鹿児島市城山町にある銅像はさらに面白い。あの「忠犬ハチ公」の作者として名高い彫刻家・安藤照が、なんと8年の歳月をかけて1937年(昭和12年)に完成させたものだよ。そして鹿児島空港そばにある「現代を見つめる西郷隆盛像」は、高さ10.5メートルと実在した人物の立像としては日本最大なんだ。

実は筋金入りの愛犬家だった

もう一つ、西郷隆盛のことで忘れちゃいけない話があってね。彼は大の愛犬家で、多いときには20頭近くの犬を飼育していたと言われているんだ。

その頃の日本では犬を狩猟用に飼うことはあっても、ペットとして可愛がる文化はほとんどなかった。ところが西郷はうなぎ屋でこっそり犬にうなぎを食べさせるくらい溺愛していたというんだから、相当な犬好きだよね。

さらにね、西郷はいわゆるメタボ体型で、ドイツ人医師による肥満治療を受けていたそうだ。その治療の一環として犬と一緒に散歩することを習慣にしていたんだが、当時は犬を散歩させる習慣がまったくなかったから、かなり珍しい光景として語り継がれているんだよ。

上野の銅像に犬が一緒に彫られているのも、この愛犬家としての一面を表しているわけさ。

2027年、「せごどん」イヤーがやってくる

さて、2027年度はいよいよ生誕200年・没後150年の節目を迎えるわけだが、鹿児島市はすでに官民一体のプロジェクトを始動させている。参加型の体験イベントはもちろん、ご当地グルメの開発まで計画中というんだから、鹿児島が熱くなりそうだな。

NHKの「歴史探偵」でも「希代のカリスマか、反逆の象徴か」というテーマで西郷どんを掘り下げているように、征韓論で下野して最後は新政府と戦って敗れたその生き様は、英雄とも反逆者とも捉えられる。だからこそ200年近く経ったいまも、日本人はこの男に引きつけられ続けるんじゃないかな。

おじさんに言わせれば、写真すら残さず、名前さえ父親のものを使い続け、それでも歴史にこれほど鮮明に刻まれた人物というのは、そうそういないよ。

2027年に向けて、一度じっくり西郷隆盛の生涯を振り返ってみると、また新しい発見があるんじゃないかな。まあ、鹿児島に足を運ぶのが一番だけどね!