やあやあ、みんな元気かい?今日はおじさん、どうしても語らずにいられない男の話をしようと思うんだ。

その名は栗山巧。埼玉西武ライオンズ背番号「1」。2026年シーズン、この男のユニフォーム姿を見られるのも、いよいよ最後になりそうなんだよ。

兵庫の少年が埼玉の魂になるまで

栗山巧は1983年9月3日、兵庫県神戸市西区で生まれた。中学時代はヤングリーグの「神戸ドラゴンズ」でプレーし、1年後輩にはあの坂口智隆(元オリックス・ヤクルト)がいたっていうんだから、なかなか層の厚いチームだったんだよ。

育英高等学校に進んでからも実力は本物で、2年時には春夏連続甲子園出場を果たした。2000年の第82回選手権大会では5試合で打率.348、9打点という堂々たる数字を残してベスト4まで駆け上がっている。高校通算47本塁打という実績を引っ提げて、2001年のドラフト会議で西武ライオンズから4巡目指名を受けたんだ。

最初の背番号は「52」。それがいつしか、チームの顔である「1」に変わっていくわけだ。

25年間、ただひとつのチームで

2002年に入団してから2026年まで——これだけ長く一つのチームに在籍し続けるのは、現代プロ野球では本当に稀なことなんだよ。

一軍初出場は2004年9月24日、大阪ドームでの大阪近鉄バファローズ戦。「9番・左翼手」として出場してその試合で初安打まで記録した。そこから2005年には84試合で打率.297を残し、少しずつ西武の主力へと成長していく。

2008年、最初の全盛期

おじさんに言わせれば、栗山の才能が最初に花開いたのは2008年だ。この年は138試合に出場(自己最多更新)して打率.317、72打点、そして最多安打のタイトルを獲得。さらに日本シリーズ制覇にも貢献してベストナイン選出と、まさに充実のシーズンだった。

22犠打、17盗塁という数字も示すとおり、長打だけじゃなく小技も足技もできる、バランスの取れた選手だったんだ。

うんちくおじさんの豆知識コーナー

ちょっと聞いてくれよ。2008年5月4日のロッテ戦で、面白いルールが適用されたエピソードがあるんだよ。栗山の打球を一塁手のフリオ・ズレータが弾いたところ、二塁手のホセ・オーティズがなんとグラブを投げて止めたんだ!

野球規則では、野手が帽子やグラブなど身につけているものを投げて打球に当てた場合、打者走者に「安全進塁権3個」が与えられる。つまり、普通のゴロが自動的に三塁打になったわけ。栗山本人も「ルール知りませんでした」と言ったそうだし、40年以上の野球人生を持つヘッドコーチの黒江透修さんでさえ「見たことがない」と驚いた珍プレーだったんだよ。野球って、まだまだ奥が深いだろう?

記憶に残る劇的な一打の数々

栗山巧という選手を語るとき、どうしても「代打の切り札」として残した数々の劇打を忘れてはいけない。

2017年8月17日——「炎獅子ユニフォーム」を着た試合での代打サヨナラ3ラン本塁打。あの快進撃を最高の形で締めくくった一打は、今でもファンの間で語り継がれている。

2018年9月17日——ホークスとの直接対決3連戦最終戦で、マジック11点灯を呼び込む満塁本塁打。10年ぶりのリーグ優勝に向けて流れを一気に引き寄せたこの一振りは、中村剛也との「骨牙コンビ」として語られる伝説の試合となった。

2021年9月4日——そして、通算2000安打達成。生え抜き一筋でこの大台に乗せた瞬間、一塁ベース上でホッとした顔を見せた栗山の姿は、多くのファンの心に焼き付いている。

2024年8月31日——40歳を過ぎてなお、代打で初球をとらえた逆転2ラン本塁打。苦しいシーズンの佳境に舞い降りた一撃は、「所沢に神が降りた」とまでファンに言わしめた。

25年の重みを、チームが称える

2026年シーズン、埼玉西武ライオンズは「PR1DE KURIYAMA」と題した特別企画を実施している。来場者に配布されるのは「1×52 ヒストリーTシャツ(全6種)」——入団時の背番号52からキャプテン就任時の背番号1まで、25年の歩みの中で象徴的な場面で着たユニフォームをデザインしたグッズだよ。

おじさんから見ても、これだけ球団に愛され、ファンに愛され続けた選手というのは、本当に数えるほどしかいないと思うんだよ。

まとめ——一つのチームを愛し抜くということ

さて、ちょっと長くなったけど、栗山巧という男の物語、少しはわかってもらえたかな?

FA権を行使すれば他球団からもっと高い評価を得られたかもしれない。でも彼はずっとライオンズのユニフォームを着ることを選んだ。2002年の入団から2026年まで、24年間(2026年シーズン現在)ただ一つのチームで戦い続けた選手——そういう選手がいること自体が、プロ野球の素晴らしさの一つだとおじさんは思うんだよ。

栗山巧の年俸は2026年シーズンで6000万円。これだけ長くトップ選手として活躍し続けてきた証だよ。

まあ、これからも所沢の空の下で、あの背番号「1」の姿をしっかり目に焼き付けておいてくれよ。後から「あの時ちゃんと見ておけばよかった」って後悔しても遅いんだからさ。おじさんとの約束だよ。