やあやあ、おじさんだよ。今日はロックな話をしようじゃないか。

「横山健」って名前、聞いたことあるかい?パンクロックに詳しくない人は「誰それ?」って思うかもしれないけど、日本の音楽シーンを語る上でこの人を外すわけにはいかないんだ。おじさん、ちょっと熱く語らせてくれよ。

Hi-STANDARDという伝説

横山健は1969年10月1日生まれ、現在56歳。東京都杉並区高井戸の出身だよ。身長165cm、O型。一見ごく普通のプロフィールに見えるけど、この人が日本のパンクロックシーンにやったことは尋常じゃない。

1991年、横山健はHi-STANDARDを結成する。そして1994年にデビュー。このバンドが1990年代後半から2000年代初頭にかけて「メロディック・パンク・ムーブメント」を牽引したんだ。

Hi-STANDARDの凄みは「メディアに出ない」スタイルにある。テレビ出演をほぼ拒否し、ライブと口コミだけで人気を獲得していった。これ、今じゃSNSマーケティングとか言うかもしれないけど、あの時代に「ライブの力だけで売れる」を実践したバンドだよ。

PIZZA OF DEATH RECORDSという自立の象徴

1999年、横山健はレーベル「PIZZA OF DEATH RECORDS」を自ら設立し、代表取締役社長に就任する。これが実はすごいことでね。

メジャーレーベルに依存せず、自分たちで流通・プロモーションをコントロールするインディペンデントな姿勢は、当時の日本の音楽業界では異端だった。「アーティストが自分で会社を作って運営する」なんて発想、なかなかできることじゃないんだよ。

2000年にHi-STANDARDが活動休止した後も、横山健はこのレーベルを守り続けた。

おじさんの豆知識コーナー:Hi-STANDARDが変えたもの

まあ、聞いてくれよ。Hi-STANDARDが日本のパンクシーンに与えた影響、実は数字で見るとよくわかるんだ。

彼らのアルバム『MAKING THE ROAD』(1999年リリース)は、インディーズ作品にもかかわらずオリコンアルバムチャートで1位を獲得した。しかも、その後もチャートに居座り続けた。インディーズバンドがオリコン1位を獲るなんて、当時としては衝撃的な出来事だったんだよ。

さらに、Hi-STANDARDの影響を受けたバンドは数知れない。BRAHMAN、ELLEGARDEN、SUM 41(カナダ)まで「Hi-STANDARDに影響を受けた」と公言しているアーティストが続出した。一つのバンドがこれだけの連鎖を生むって、なかなかないことだよ。

Ken Yokoyamaとして再出発

2004年2月18日、横山健はソロプロジェクト「Ken Yokoyama」として1stアルバム『The Cost Of My Freedom』をリリース。これがオリコンウィークリーチャートで初登場8位を記録する。

その後の活躍もすごいよ。

  • 2005年8月6日 — ROCK IN JAPAN FESTIVALに初出演
  • 2005年11月9日 — 2ndアルバム『Nothin’ But Sausage』リリース(オリコン初登場3位)
  • 2008年1月13日 — 日本武道館でのライブ『DEAD AT BUDOKAN』開催、13,000人を動員
  • 2019年2月 — KEN BANDをバンド名「Ken Yokoyama」に正式改名

武道館13,000人動員ってのは、メジャーレーベルのサポートなしに、インディーズバンドが成し遂げたことだ。これは並大抵の努力じゃできないよ。

音楽的ルーツの話

おじさんに言わせれば、アーティストの音楽的ルーツを知ると、そのバンドの音楽がずっと深く聴こえてくるもんなんだ。

横山健は中学時代、まずヘヴィメタルから音楽に入った。オジー・オズボーンやアイアン・メイデンを聴いていたというから、ガチの洋楽メタルキッズだった。

それが高校の終わりにパンク・ロックと出会い、そして最も衝撃を受けたのが国内バンドのTHE BLUE HEARTSだったというのが面白い。海外の音楽漬けだった少年が、国内バンドに一番打ちのめされた——そこからHi-STANDARDが生まれていくわけだ。

スケートボードとパンクの関係

ここで豆知識をひとつ。横山健はギターだけでなく、高校時代にスケートボードをやっていたんだ。杉並区の区民センター横にある焼却炉近くの広場が溜まり場だったという。

これ、実はパンクロックとスケートボードって切っても切れない関係があるんだよ。アメリカのメロディック・パンクシーン——NOFX、Pennywise、Suicidal Tendenciesなんかのバンド——はみんなスケートカルチャーと深く結びついていた。「スケートパンク」なんて言葉もあるくらいだ。横山健がスケーターだったのは、偶然じゃないのかもしれないね。

人間・横山健の素顔

横山健は現在、再婚して三児の父でもある。前妻との間に2005年生まれの楓太くんと2009年生まれの桃土くんの男の子ふたり、現在の妻との間にも男の子がひとりいる。

家族についてはコラム連載「横山健の別に危なくないコラム」でも触れることがあり、子育てへの思いや家族愛を語ることも多い。

また、成城高等学校を卒業後、美術系大学を受験して失敗し浪人という経験も持つ。その浪人中にバンド活動に本格的に傾いていったというのも、人間らしいエピソードだよね。

まとめ:横山健という「生き方」

いかがだったかい?横山健という人物、ただのロックミュージシャンじゃなくて、音楽ビジネスそのものを変えようとした人間でもあるんだよ。

PIZZA OF DEATH RECORDSというレーベルを自分で作り、メディアに頼らずライブとリスナーの口コミだけで武道館を埋める——これって、音楽に対する強烈な信念がないとできないことだよ。

ヘヴィメタルキッズからパンクロッカーへ、そして日本のインディーズシーンを牽引するレーベル社長へ。この軌跡を知ってから横山健の音楽を聴くと、また一味違う味わいがあるはずだ。

おじさんはね、こういう「自分の道を貫いた人」の話が大好きなんだよ。君も一度、Hi-STANDARDやKen Yokoyamaを聴いてみてくれよ。きっと何か感じるものがあるはずさ。