やあやあ、久しぶりだね。今日はおじさんが長年ずっと語りたかった男の話をしようと思ってさ。

その名は山本昌。本名・山本昌広。神奈川県茅ヶ崎市出身、1965年8月11日生まれ、現在60歳のレジェンド左腕投手だよ。

「山本昌って誰?」なんて言わせないぞ。プロ野球ファンじゃなくても、この男の記録を聞いたら思わず「え、人間なの?」って言いたくなるはずさ。

32年間、ただ一球団に捧げた男

山本昌は1983年のドラフト5位で中日ドラゴンズに入団した。5位だよ?そんな評価からスタートして、引退するまでの32年間(実働29年)、他の球団には一切目もくれず、ひたすら中日一筋で投げ続けた。

その通算成績を見てみようか。

  • 登板数:581試合
  • 先発:514先発
  • 通算勝利:219勝
  • 通算敗戦:165敗
  • 防御率:3.45
  • 完投:79回
  • 完封:30回

個人タイトルも最多勝利3回、最優秀防御率1回、最多奪三振1回、最高勝率1回、そして沢村栄治賞も受賞している。

でも数字だけじゃ語れないんだよ、この人は。

「中年の星」と呼ばれた男のあり得ない記録

まあ、聞いてくれよ。プロ野球の世界では30代後半になったら「ベテラン」「そろそろ引き際」なんて言われるのが普通なんだ。ところが山本昌ときたら、そこからが本番だったんだから。

41歳でノーヒットノーラン

2006年9月、山本昌は41歳にしてノーヒットノーランを達成した。これがNPB史上最年長記録で、しかも左腕投手に限れば世界最年長記録だ。普通の投手なら引退してる年齢で、9イニングを無安打に抑えてしまったんだよ。おじさんに言わせれば、これだけで永久に語り継ぐ価値がある。

43歳で通算200勝

2008年には43歳で通算200勝を達成した。これもNPB史上最年長での200勝だ。200勝投手というだけでも超一流の証なのに、それを40代で積み上げるというのが凄まじい。

50歳で一軍登板

そして最大の金字塔が、2015年10月のこと。山本昌はNPB史上初めて、50歳代で一軍公式戦に登板した投手になった。1965年生まれが50歳で現役のマウンドに立つ。日本プロ野球の138年の歴史(1936年創設)でも誰一人成し遂げていなかったことを、この男はやってのけたんだ。

おじさんのうんちく:実は「渡米」が転機だった

ちょっと聞いてくれよ、山本昌の意外な話を。

実は彼、入団当初は「大柄なだけで才能がない」と自分でも自覚するほど伸び悩んでいたんだよ。3年目にようやく一軍デビューしたけど、その後もなかなか結果が出なかった。

そこで1988年、中日球団は山本昌をアメリカへ野球留学させた。当時まだ22歳。その渡米で習得したのが、あの伝家の宝刀スクリューボール(ないしはチェンジアップ)だ。帰国後、球種が増えた山本昌は先発ローテーションに定着し、5連勝でリーグ優勝に貢献。ここから伝説が始まったんだよ。

アメリカ帰りの「変化球」が、29年の現役生活を支えた。たった一度の留学が、日本プロ野球史に残るキャリアの土台になったというわけさ。

野球殿堂入り85.0%の得票率

引退から7年後の2022年、山本昌は野球殿堂(競技者表彰・プレーヤー部門)に選出された。投票総数361票中、307票を獲得して85.0%の得票率だ。これは殿堂入りに必要な75%を大きく上回る高い評価で、「投票した人の6人中5人が賛成した」という計算になる。それほど、業界内でも絶大な信頼と尊敬を集めていたんだよ。

現役時代に中日ドラゴンズは6度のセ・リーグ優勝、1度の日本一を達成しているが、そのすべてに山本昌がいた。

野球だけじゃない。ラジコンの腕もプロ級

おじさんが好きなのはね、山本昌という人の多面性なんだよ。

彼の趣味はラジコン(RC)で、その腕前はアマチュアの域をはるかに超えたプロレベルとして話題になっていた。選手時代からラジコンに情熱を注ぎ、専門雑誌でも取り上げられるほどの腕前。野球の練習に臨む集中力と、ラジコン操作への熱中が共鳴していたのかもしれないね。

また、2016年には「ビートルランド・米原名誉館長」という珍しい肩書きも持つようになった。博物館の名誉館長だよ?スポーツ選手でそんな役職に就く人、他に聞いたことあるかい?

現在は解説者・健康アンバサダーとして活躍

引退後の山本昌は、野球解説者・評論家として活動しながら、医療法人偕行会グループの「健康PRアンバサダー」も務めている。

引退会見でこんなことを言っていたよ。

「投げることは32年間精いっぱい勉強したが、ほかは素人。またユニホームを着るチャンスをもらえるように勉強したい」

この言葉、おじさんは好きだね。32年もやってきたのに「素人」と言える謙虚さ。これが長く続けられた理由の一つじゃないかな。

まとめ:「中年の星」がくれた希望

山本昌という投手の本当のすごさはね、記録の数字だけじゃないんだよ。

「30代、40代になっても努力すれば進化できる」「年齢は言い訳にならない」というメッセージを、ただ存在するだけで日本中に発信し続けた。だから「中年の星」と呼ばれたんだ。

ドラフト5位の評価から始まって、アメリカ留学で変化球を習得し、50歳まで現役を続けて、殿堂入り85.0%。これほどドラマチックな野球人生、そうそうないよ。

おじさんはね、山本昌の話をするとき、いつも思うんだ。「才能じゃなくて、続ける力が人を偉大にする」ってね。

あなたもそう思わないかい?

じゃあ今日のうんちくはここまで。また会おうね。