やあやあ、久しぶりだね。今日はちょっと重たい話題を持ってきたよ。「北方領土」さ。
ニュースで名前は聞いたことあるだろうけど、「なんとなく難しそう」で流してる人、多いんじゃないかい? まあ聞いてくれよ、おじさんが噛み砕いて全部説明してやるからさ。
そもそも北方領土ってどこにある?
北方領土というのは、北海道の根室半島から東の沖合いに浮かぶ4つの島々のことさ。択捉島・国後島・色丹島・歯舞群島、この四島をまとめて「北方四島」とも呼ぶんだ。
面積を合わせると約5,000平方キロメートル。これ、福岡県や千葉県とほぼ同じ広さだよ。けっこう広いだろう?
そして最も近い島——歯舞群島の貝殻島は、根室半島の納沙布岬からたったの3.7キロメートルしか離れていない。晴れた日に双眼鏡でのぞけば見えそうな距離だよ。それなのに、日本人は自由に行き来できないんだ。
ちなみに、日本の最北端は北海道の宗谷岬じゃない。択捉島の最北端、カモイワッカ岬(北緯45度33分)が日本の最北端なんだ。宗谷岬は北緯45度31分で、実は「北海道本島の最北端」なんだよ。
なぜ日本人が住めないのか——歴史を振り返ろう
1855年の条約から始まった「日本の島」の歴史
1855年(安政2年)2月7日、江戸幕府とロシア帝国は「日露通好条約(下田条約)」を締結した。この条約で、択捉島とウルップ島の間に国境線が引かれ、択捉島・国後島・色丹島・歯舞群島は正式に日本領と確認されたんだ。
その後も1875年(明治8年)の「樺太千島交換条約」で、日本は千島列島全域を領有することになった。
1945年(昭和20年)8月9日が転換点だ。ソ連は当時まだ有効だった日ソ中立条約に違反して対日参戦し、日本がポツダム宣言を受諾した後の8月28日から9月5日にかけて、北方四島すべてを占領してしまった。
その時、四島には17,291人の日本人が暮らしていた。約半数が自力で脱出したが、残りはソ連に強制退去させられ、サハリン経由で日本本土に送還されたんだよ。そしてソ連は1946年に四島を一方的に自国領に「編入」し、1948年までに全ての日本人を追い出した。
戦後80年以上が過ぎた2025年現在もロシアが実効支配を続けており、島には現在約1万8,000人のロシア人が居住している。
今もつづく「島に帰りたい」という声
ここ最近のニュースを見てみると、北海道の根室や標津では千島連盟(かつての島民やその子孫たちが作った団体)が活発に活動している。
2026年4月には千島連盟根室支部の総会が開かれ、事業計画が承認された。「もう一度島の土を踏みたい」という元島民の声は今も消えていない。高齢化が進む元島民にとって、残された時間はそう多くないんだ。
また、北方四島に住んでいた日本人の財産補償を「国内問題として国に対応を求める」という動きも続いている。強制退去させられた時に残してきた家屋や漁場、農地——それらへの補償はいまだ十分でないんだよ。
さらに標津町では、北方領土館の整備について千島連盟標津支部が「素晴らしい建物になるよう協議を続けている」と報告があった。次世代に北方領土問題を伝え続けるための拠点づくりが進んでいるんだ。
おじさんが感じること
日本とロシアの間には、戦後80年以上が経った今でも平和条約が締結されていない。世界的に見ても異例の状況さ。
北方領土問題の解決なしに平和条約は結べない——これが日本の一貫した立場だ。一方、ロシアは「四島はロシアの領土」と主張して一歩も引かない。
ウクライナへの侵攻以来、日露関係は一層冷え込んでいる。元島民の平均年齢は80代を超え、「生きているうちに島に帰りたい」という言葉がいつまでも続くのを、おじさんは少し切なく思うよ。
まとめ——知っておくべき日本の問題
北方領土は、遠い外交の話じゃない。かつて1万7千人以上の日本人が暮らし、今も多くの家族が「帰還」を望んでいる、生きた問題なんだ。
- 四島の面積は約5,000平方キロメートル(福岡県とほぼ同じ)
- 最も近い島は納沙布岬からわずか3.7キロ
- 1855年の条約で正式に日本領となったが、1945年にソ連が占領
- 強制退去させられた日本人は17,291人
- 戦後80年以上経つ今も、日露間に平和条約はない
こういう歴史をしっかり知った上で、次世代に伝えていくことが大事だとおじさんは思うよ。根室や標津の人たちが今も訴え続けているのは、忘れないでほしいという気持ちなんだ。
まあ、難しい問題ではあるけれど、まず知ることから始めようじゃないか。じゃあまた、うんちくおじさんでした!
うんちくおじさんの豆知識コーナー
「北方領土の日」は2月7日だよ!
1981年(昭和56年)、日本政府は毎年2月7日を「北方領土の日」と制定した。これは1855年に日露通好条約が締結された日に由来している。
そしてもう一つ驚かせてやろう。北方領土はサンフランシスコ平和条約(1951年)で日本が放棄した「千島列島」には含まれないんだ。日本政府も、アメリカ政府も(1956年9月7日付け対日覚書で)公式にそう認めている。つまり国際法的にも「日本が放棄した土地」ではないんだよ。それでも返ってこないのが、この問題のやっかいなところさ。