やあやあ、久しぶりだね。今日はプロ野球ファンならニヤリとする話題を持ってきたよ。読売ジャイアンツのエース右腕・菅野智之のことさ。最近またトレンドに上がってきているね。おじさん、この男のことはずっと追いかけてきたから、しっかり語らせてもらうよ。
菅野智之とはどんな男か
菅野智之は1989年2月27日、神奈川県出身の右腕投手だ。東海大相模高校から東海大学を経て、2012年に読売ジャイアンツにドラフト1位で入団した。身長185cm、体重95kgという恵まれた体格から繰り出すストレートは最速157km/hを計測したことがある本格派さ。
NPBでの実績は本当に圧巻でね。沢村栄治賞を2015年・2016年・2017年・2019年の計4度受賞しているんだ。沢村賞ってのは日本プロ野球の先発完投型エースに贈られる最高峰の投手賞で、年間25登板以上・10完投以上・200奪三振以上など厳しい基準をすべてクリアしなければもらえない。4度受賞は現役投手としては歴史的な快挙だよ。
2019年シーズンは特にすさまじくて、11勝3敗・防御率1.97・188奪三振という数字を残した。巨人のリーグ優勝にも大きく貢献したわけだ。
メジャー挑戦と帰還のドラマ
2020年オフ、菅野はMLBポスティングシステムを利用して大リーグ挑戦を表明した。翌2021年1月、ニューヨーク・メッツと2年総額1500万ドル(約16億円)の契約を結んだんだよ。ところが2021年シーズンは右肘の故障もあって10登板に終わり、3勝4敗・防御率3.66という満足のいかない成績だった。2022年もメッツに残ったが、7月に選手としての選択条項(オプトアウト)を行使して退団。再び巨人のユニフォームを着ることになったのさ。
巨人復帰後は2023年に12勝7敗・防御率2.16と復活の狼煙を上げ、巨人のセ・リーグ優勝に貢献。やっぱりこの男、本物だよ。
2025年、再びメジャーへ
そして2024年オフ、菅野は再びポスティングシステムでMLB挑戦を宣言した。今度はニューヨーク・メッツとではなく、ニューヨーク・メッツと3年総額4600万ドル(約70億円)という大型契約を締結したんだ(2025年1月締結)。
35歳という年齢での再挑戦。普通ならためらうところだよね。でもこの男、2023年の巨人での復活ぶりを見せておいて「まだやれる」と証明したんだから頼もしい。
2025年シーズンのメッツでは開幕ローテーション入りを果たし、先発の柱として活躍。4月14日現在の2026年シーズンも引き続きメッツで登板を重ねており、日本人投手の地位向上に一役買っているわけさ。
日米通算の数字が物語る実力
菅野の日本での通算成績(2024年シーズンまで)は、134勝67敗・防御率2.31という輝かしいものだ。勝率.667は先発投手としてトップクラスの水準でね、「安定感」という言葉がこれほど似合う投手もなかなかいない。
奪三振数の多さも特筆もので、NPBでの通算奪三振は1500個を超えている。これは日本球界で歴代上位に入る数字さ。
おじさんが思うこと
野球ってのは面白いよね。菅野みたいに「ジャイアンツの申し子」として育った男が、35歳を超えても世界最高峰のMLBで戦い続けているわけだから。
1989年生まれというのは、ちょうどバブル経済の絶頂期に生まれた世代なんだ。おじさんが「いい時代だったなあ」と感慨にふける1989年に、この男は産声を上げたわけさ。そして今や日本プロ野球界を代表する投手として、大リーグで日本の野球の質の高さを証明している。
おじさんに言わせれば、菅野の最大の武器は球速じゃなくて「制球力」と「試合を読む眼」だと思う。打者の心理を読んで、打ち取れると判断したら迷わず勝負する。それがあの防御率の低さに直結しているんじゃないかな。
君も菅野智之のピッチングを一度じっくり見てみてよ。華やかなホームランとは違う、ピッチャーとバッターの頭脳戦の面白さが分かるはずだよ。それがまた野球の醍醐味ってもんさ。
おじさんの豆知識コーナー:菅野智之と原辰徳の意外な関係
まあ、聞いてくれよ。菅野智之には野球界では有名な「家族の縁」があってね。読売ジャイアンツの名監督・原辰徳(現在は通算3期で1105勝以上を積み上げた名将)は、なんと菅野の伯父にあたるんだ。原辰徳は1981年に東海大学からドラフト1位で巨人入り、通算2095安打を放った選手でもあった。
つまり菅野は「巨人の血筋」とも言えるわけさ。ところが面白いことに、菅野は2011年のドラフトで日本ハムから1位指名を受けたにもかかわらず、「巨人以外には行かない」と入団を拒否して1年間浪人したことがある。翌2012年のドラフトで巨人に1位指名され、晴れて入団を果たしたんだよ。これだけの意志の強さ、並の選手じゃないよね。
ちなみに「沢村栄治」という名前がついた沢村賞は、戦前の巨人の大投手・沢村栄治に由来する。沢村は1934年に来日した全米選抜チームとの試合でベーブ・ルースやルー・ゲーリッグらを相手に熱投し、2対0で完封負けしながらも三振17個を奪った伝説の人物だ。その名を冠した賞を4度も取った菅野は、現代の「沢村」と言っても過言じゃないよ。