やあやあ、今日はちょっと物騒だけど実に興味深い話をしてあげよう。

2026年4月、イランの最高指導者アリー・ハーメネイー師が亡くなったというニュースが世界中を駆け巡った。イラン各地で大規模な追悼集会が開かれ、インドのデリーにあるイラン文化センターでも市民が集まって献花を捧げた。イランの外交官は「真実に境界はない(Truth knows no boundaries)」と語り、世界中から寄せられた連帯への感謝を述べたという。

こういう大きな地政学的ニュースが出ると、必ずといっていいほど話題になる組織がある。そう、モサド(Mossad)だよ。今日はおじさんが、この世界最高峰の諜報機関について深掘りして教えてあげようじゃないか。

ハーメネイー師の死と揺れる中東

まず、今回のニュースから話そう。アリー・ハーメネイー師は1939年7月17日生まれで、1989年から2026年まで実に36年以上にわたってイランの最高権力者として君臨し続けた人物だ。ルーホッラー・ホメイニー師の後継者として宗教・政治の両方を掌握し、イラン・イスラム共和国の方向性を決定づけてきた。

ハーメネイー師の死はイランだけでなく中東全体の勢力図に直結する出来事で、世界が固唾を飲んで次の動向を見守っている。そしてこういう時に必ず名前が出てくるのが、イスラエルの情報機関「モサド」なんだ。

モサドとは何者なのか?

1949年12月13日創設、世界三大諜報機関のひとつ

モサドの正式名称は「HaMossad leModiʿin uleTafkidim Meyuḥadim」、ヘブライ語で「情報と特殊任務のための機関」という意味だよ。創設は1949年12月13日、イスラエルの初代首相ダヴィド・ベン=グリオンが設立した。本部はテルアビブにあり、職員数は推定で7,000〜8,000人とされている(もちろん正確な数字は極秘だ)。

アメリカのCIA、イギリスのMI6と並んで「世界三大諜報機関」の一つに数えられることが多く、その実行力と情報収集能力は各国の情報機関からも一目置かれている。

おじさんが選ぶ!モサドの衝撃作戦トップ3

第1位:アドルフ・アイヒマン拿捕作戦(1960年)

ナチス・ドイツでユダヤ人虐殺の実務責任者だったアドルフ・アイヒマンを、戦後隠れ住んでいたアルゼンチンのブエノスアイレス郊外から拉致した作戦だよ。1960年5月11日、モサドのエージェントたちは帰宅途中のアイヒマンを路上で取り押さえ、麻酔を打って密かにイスラエルへ連行。翌1961年の裁判でアイヒマンは死刑判決を受け、1962年6月1日に処刑された。これは国際法上は問題だらけの行動だったけど、ナチス戦犯を裁いた歴史的事例として今も語り継がれているんだ。

第2位:神の怒り作戦(1972年〜約20年間)

1972年9月5日のミュンヘンオリンピックで、パレスチナ武装組織「黒い九月」がイスラエル選手団11人を殺害した。モサドはこの報復として「神の怒り作戦(Operation Wrath of God)」を発動し、20年以上にわたって実行犯・計画立案者を世界中で追い続けた。この壮絶な作戦はスティーヴン・スピルバーグ監督の映画『ミュンヘン』(2005年公開)でも描かれているから、観たことがある人もいるかもしれないね。

第3位:イラク核施設への情報支援(1981年)

イラク(サダム・フセイン政権)が建設中だった核施設「オシラク」を1981年6月7日、イスラエル空軍F-16×8機が爆撃した作戦だ。モサドはこの作戦のために綿密な情報収集を担い、イラクの核開発計画を大幅に遅らせることに成功したとされている。

おじさんの豆知識コーナー:モサドとイランの因縁

ちょっと聞いてくれよ、モサドとイランの関係って、実はそんなに単純じゃないんだよ。

イスラム革命のイランは王政(パフラヴィー朝)で、イスラエルと友好関係にあった。なんと当時、モサドはイランの秘密警察「SAVAK(サヴァク)」と協力関係を結んでいたほどだ。

ところが1979年のイスラム革命でホメイニー師が政権を取ると、イランはイスラエルを「敵国」と宣言。それ以来、モサドとイランは水面下で激しい諜報戦を繰り広げてきた。

特に注目すべきは、2020年11月27日、イランの核開発の父と呼ばれたモフセン・ファフリザデー博士がテヘラン近郊で暗殺された事件だ。この暗殺にはリモコン制御の機関銃が使われ、博士の護衛を瞬時に無力化した。イラン政府はモサドの関与を強く主張している。

ハーメネイー師が最高指導者として君臨した36年間は、まさにこのイスラエルとイランの激しい対立が続いた時代でもあったんだよ。歴史って、表から見るより裏側の方が面白かったりするものさ。

モサドのエージェントはどんな人たちなのか?

ここが面白いんだよ。モサドのエージェントは「カツァ(Katsa)」と呼ばれる外回りの工作員と、「ネービオット(Neviot)」と呼ばれる盗聴・侵入専門チームなどに分かれている。

採用はイスラエル国防軍(IDF)の精鋭部隊出身者から行われることが多く、アラビア語・ペルシャ語・英語などの語学力が重視される。訓練期間は最低でも2〜3年とされており、心理的プレッシャー耐性のテストも含まれるという。

また、モサドのモットーは旧約聖書の格言から取られているんだ。「知恵なき指揮のもとで民は滅び、多くの顧問がいれば救われる」(箴言11章14節)というものだよ。諜報機関のモットーが聖書の言葉というのも、いかにもイスラエルらしいね。

まとめ:歴史の裏側を知ることの大切さ

まあ、今日の話はどうだったかな。ハーメネイー師の死というニュースをきっかけに、世界の裏側で動いてきた諜報機関モサドの話をしてみたけど、歴史って表だけじゃないんだよ。1949年の創設から今日まで77年、モサドは中東の激動の歴史の中で常に暗躍してきた。

「知識は最良の武器だ」とおじさんは常々思っているんだけど、どうだろう?今日もちょっとだけ世界が広がったかな?また面白い話を仕入れておくから、次回も楽しみにしていてくれよ!