やあやあ、久しぶりだね。今日はおじさんがどうしても語りたい人がいてさ——そう、加藤登紀子さんだよ。最近ネットでも話題になってるだろう?「中島みゆきと中森明菜を『魔女』と呼ぶ」って記事、見た人もいるんじゃないかな。おじさんはこれを読んで「さすがだ!」と膝を打ったね。
歌手生活60年——その経歴がもうすでに「伝説」だ
加藤登紀子さんはね、1943年11月7日生まれ。中国・ハルビン(当時の満州)での誕生なんだ。東京大学文学部を卒業後、1965年に歌手デビューしてから今年でちょうど60年。
60年だよ、60年。おじさんが生まれるよりずっと前から歌い続けてる人なんだ。
代表曲は「知床旅情」「百万本のバラ」、そして1992年の宮崎駿映画『紅の豚』のエンディングで使われた「時には昔の話を」。あの曲、聴いたことあるだろう?映画を観た後、あのエンディングが頭から離れなかった人は多いはずさ。2026年の現在も精力的に活動していて、6月20日には東京国際フォーラムホールCで「明日への讃歌〜ジーナの生きた100年」コンサートを予定してる。これは『紅の豚』のヒロイン「ジーナ」が、その後どう生きたかという物語をテーマにした、なんとも粋なコンサートなんだよ。
「ただならぬ気配」——魔女と呼ばれた二人の正体
さて、今回話題になってる「魔女」発言だ。加藤登紀子さんが中島みゆきと中森明菜を「魔女」と呼んでいる。これ、貶してるわけじゃないよ。むしろ逆だ。
60年もステージに立ち続けてきた人が「一瞬で釘付けにされた」と言う存在。それが「魔女」なんだろうね。普通の人には持てない、ただならぬ気配——オーラとも言うべき何かを、加藤登紀子さんは鋭く感じ取っていたんだ。
歌手として半世紀以上のキャリアを持つ人が「釘付けにされた」と語る重さ、わかるかい?凡人がどれだけ努力しても届かない「何か」を持つ人を、彼女は敬意を込めて「魔女」と表現したんだよ。
高倉健と「妻役」で共演した日の仰天エピソード
ちょっと聞いてくれよ、これも面白い話でさ。加藤登紀子さん、あの昭和の大スター・高倉健さんと映画で妻役として共演したことがあるんだ。撮影中に腕を組んでいたとき、高倉健がボソッとひと言。加藤さんが「面食らった」と語るそのひと言——「思い出すんですか?」という問いかけだったらしい。俳優として役に完全に没入する高倉健の姿勢が垣間見える逸話だよね。
2020年から続く「土の日ライブ」——69回目の今
おじさんに言わせれば、これが今の加藤登紀子さんの「凄さ」の証明なんだよ。
2020年9月11日にスタートした配信ライブシリーズ「登紀子の『土の日』ライブ」。毎月11日(土=つち)に行われ、2026年5月11日にはなんと第69回目を迎えた。ゲストは俳優・アーティストの森崎ウィンさん(1990年8月20日生まれ、ミャンマー出身、2018年のスティーヴン・スピルバーグ監督作品『レディ・プレイヤー1』でハリウッドデビュー)。
森崎さんは3月の「ジブリをうたうコンサート その2」で加藤さんの「時には昔の話を」を歌うという縁もあり、満を持しての出演となった。81歳を超えてもなお、若い世代のアーティストたちと刺激し合い続ける姿——これこそが「本物」の証じゃないかね。
さらに今年は60周年記念アルバム第二弾「明日への讃歌」をリリース。新刊「まさかの学校」(時事通信出版局、定価1,545円+税)も好評発売中だ。9月23日にはオペラシティ劇場でエディット・ピアフ110歳を記念した「ピアフを歌うコンサート」も控えている。
まとめ——60年を超える歌声が証明するもの
加藤登紀子さんについて語り始めたら、正直キリがないんだよね。おじさんも半日くらい話し続けられる自信があるよ。
60年歌い続け、「魔女」と呼べる存在に出会い、波乱万丈の人生を歌に変えてきた人。その歌声には、単なる「上手さ」を超えた何か——人生の重み、喜び、悲しみ、そして不思議な縁——が全部詰まってる気がするんだよね。
次の「土の日ライブ」でも、どんなゲストが現れ、どんな縁が生まれるか。加藤登紀子さんの物語はまだまだ続くよ。みんなも一度、彼女の歌声に耳を傾けてみてくれよ。きっと何か、心に刺さるものがあるはずさ。
おじさんの豆知識コーナー:「花筐」に込められた奇跡の縁
これはおじさん的に一番「鳥肌が立った」エピソードなんだけどね。2002年、加藤登紀子さんがゴスペラーズのリーダー・村上てつやさんに作曲を依頼した。届いた曲のタイトルは「花筐(はながたみ)」。
打ち合わせの場で村上さんが言ったんだ。「『花筐』というタイトル、古い謡曲から来てるんですが、『棺』という意味もあるらしいんですよ」と。
そのとき加藤さんの夫、学生運動の闘士として知られる藤本敏夫氏は、肝臓ガンを患い「あと半年」と宣告されていた。村上さんはそれをまったく知らなかった。
その夏、「花筐」のレコーディング中に藤本氏は亡くなった。加藤登紀子さんはこう言っている——「この歌があったから、私は落ち込まないですんだ」と。
偶然が必然のように重なった、まさに「奇跡の縁」。加藤登紀子さんが藤本敏夫氏と「獄中結婚」したのも伝説的なエピソードで、二人の関係の深さが伝わってくるだろう。