やあやあ、2026年5月の大ニュース、聞いたかい?出光興産のタンカー「出光丸」がホルムズ海峡を突破したんだよ。おじさんはこのニュースを見て、思わず「よくやった!」と叫んでしまったよ。

なぜそんなに興奮するかって?ただの船の通過じゃないんだ。この一隻の航行には、73年前の歴史が丸ごと詰まっているんだよ。今日はその全貌をたっぷり語ってあげよう。

2026年4月28日——ホルムズ海峡を突破した原油タンカー

まず状況を整理しよう。2026年2月末に米・イスラエルとイランの軍事衝突が始まり、世界の原油輸送量の約20%が通過するホルムズ海峡が事実上の封鎖状態に陥ってしまった。日本関連の船舶が約40隻、ペルシャ湾内で身動きが取れなくなっていたんだよ。

そんな中、4月28日から29日にかけて、出光興産子会社が所有するパナマ船籍のタンカー「出光丸(IDEMITSU MARU)」が、封鎖以降初めて日本関連の原油タンカーとしてホルムズ海峡を通過した。

積んでいるのはサウジアラビア産原油 約200万バレル(日本の1日の消費量の約0.6日分)。3月にサウジアラビアで積載し、ペルシャ湾内で足止めを食らっていたが、4月28日についにホルムズを突破。5月21日朝時点では鹿児島県沖を航行中で、5月25日頃に名古屋港へ入港する予定だ。

高市早苗首相は自身のXに「邦人保護の観点を含め、前向きな動きとして受け止めている」と投稿し、自らイラン大統領に働きかけたことも明かしている。政府関係者は「イラン側に通航料は支払っていない」と説明しており、外交的な成果として広く注目を集めたよ。

73年前にも同じことをやった会社があった

さて、ここからがおじさんの本領発揮だよ。

出光丸の通過が報じられると、在日イラン大使館が公式Xにこんな一文を投稿した。

「1953年に行われた日章丸によるイラン産石油輸送の歴史的任務は、両国の長きにわたる友情の証であり、そのレガシーは今日においても極めて大きな意義を持ち続けている」

1953年——73年も前のことを、一つの国家がいまも「友情の証」として記憶している。おじさんに言わせれば、これほど胸が熱くなる話はそうそうないよ。

「日章丸事件」——英国海軍に挑んだ男の物語

1953年当時、イランは石油の国有化を宣言していた。これに激怒したイギリスが事実上の海上封鎖を敷き、世界の石油メジャーはイラン産石油の取引から完全撤退。イランは国際的な孤立状態に置かれていた。

そこに現れた男が、出光興産の創業者 出光佐三(いでみつ・さぞう)だ。

彼はタンカー「日章丸」をイラン・アバダン港へ送り込み、英国海軍の妨害を覚悟の上でガソリンと軽油を積んで帰国した。英国のアングロ・イラニアン社(現在のBPの前身)は積荷の所有権を主張して東京地裁に提訴したが、後に提訴を取り下げ、出光側の実質的な勝利となった。

この「日章丸事件」は、2012年に百田尚樹の小説『海賊とよばれた男』としてまとめられ、同年の本屋大賞を受賞した名作だ。

そして今回——俳優の 山本學(やまもとがく) さんが朝日新聞のインタビューで「あの日章丸の船長は私のおじにあたる」と語っている。73年前の英断を下した船長の甥が現代に生きているという事実、歴史というのはこんなところでつながっているものだよ。

おじさんの豆知識コーナー

出光佐三が遺した「自分たちの船で運ぶ」という哲学

終戦直後、出光興産は海外拠点もタンカーも失っていた。GHQによる接収、販売制限、石油元売業者からの締め出し——普通の会社ならここで終わる。しかし1949年に石油元売業者に再指定されると、出光佐三は「販売だけ」では満足しなかった。

「外資に依存していては、本当の意味で日本のエネルギーを守れない」という信念のもと、1956年に自社製油所の建設を決断し、旧海軍第三燃料廠跡地(山口県徳山市)に着工。なんとわずか10か月の工期で1957年3月に徳山製油所を完成させた。続いて1963年には千葉製油所を稼働させ、「精製も、輸送も、販売も、自分たちの手で」という体制を確立した。

この思想は2019年の昭和シェル石油との経営統合後も脈々と受け継がれ、2026年のホルムズ突破へとつながっているんだよ。経営理念ってのは、額縁に飾るもんじゃないんだよね。

残る課題——まだ約40隻が足止め状態

出光丸に続き、ENEOS関連のタンカーも5月にホルムズ海峡を通過し日本へ向かっている。これで日本への石油輸送の再開に向けた「貴重な一歩」が踏み出されたわけだが、楽観できる状況じゃない。

外務省の発表によれば、ペルシャ湾内にはまだ 約40隻の日本関係船舶 が残っており、日本人乗組員も12人が湾内にとどまっている。200万バレルは確かに大きいが、日本の1日分にも満たない量だ。出光丸の快挙はゴールじゃなく、あくまでスタートラインなんだよ。

まとめ——73年分の意地を積んで、出光丸は名古屋へ向かう

5月25日頃、出光丸は名古屋港に入港する予定だ。200万バレルの原油を積んだその船が岸壁に着く瞬間、おじさんは73年前の日章丸を思い浮かべずにはいられないよ。

「日本に石油を入れる」——出光佐三がその一点のために動いた1953年から、出光のタンカーはずっと同じことを繰り返してきた。封鎖された海峡も、英国海軍の圧力も、その意志を止めることはできなかった。

まあ聞いてくれよ、こういう話こそが「うんちく」の醍醐味だよ。歴史の積み重ねがいまも現役で動いているって、なかなかあるもんじゃないからね。さあ、名古屋港に出光丸が着く日を、一緒に待とうじゃないか。