まあ、聞いてくれよ。今の大相撲で一番気になる話題といえば、やっぱり安青錦 新大(あおにしき あらた)のことだよ。令和8年5月場所、初日から全休という衝撃的な事態が起きているんだ。おじさん、この力士のことを知れば知るほど、ただの「大関陥落」の話じゃないって思うんだよね。ちょっと座って聞いてくれよ。
ウクライナから両国へ——22歳の波乱万丈
安青錦の本名はヤブグシシン・ダニーロ。2004年3月23日生まれの22歳で、出身はウクライナ西部のヴィンニツャ市だ。身長182センチ、体重142キロ。得意技は右四つ・寄りで、安治川部屋に所属しているよ。
相撲との縁は7歳から始まった。地元ウクライナで相撲を始め、15歳になった2019年、大阪・堺市で開催された世界ジュニア相撲選手権に出場するために初来日を果たした。この大会で3位に入賞し、たまたまそこで声をかけてきたのが関西大学相撲部(現コーチ)の山中新大氏だ。インスタグラムを通じてやりとりが続き、「将来は大相撲の力士になりたい」という夢を語り合うようになったんだよ。
2021年にはヨーロッパ相撲選手権100キロ未満級で優勝。いよいよ本格的に大相撲入りを目指し始めた矢先のことだった——2022年2月、ロシアのウクライナ侵攻が始まったんだ。
「17歳11か月」で下した決断
ウクライナでは18歳以上に徴兵義務が課された。安青錦は「17歳11か月」という絶妙なタイミングで出国申請を行い、日本への渡航が可能になった。
山中氏から「大丈夫?」と連絡が届いた時、最初は「僕の街は西部なので大丈夫」と返した。だがその10日後——「日本に避難できないでしょうか」という言葉が来たんだ。山中氏は両親に相談し、自宅に受け入れることを快諾。安青錦の日本での生活が始まった。
ところが、相撲部屋探しは難航した。大相撲には「外国出身力士は各部屋1人まで」というルールがある。いくつもの部屋に断られ続けながら、最終的に安治川部屋への入門が決まったのさ。
初土俵から17場所で大関へ——電光石火の出世
安青錦の出世スピードは近年でも際立っている。
- 令和5年9月場所:初土俵
- 令和6年11月場所:新十両昇進(約1年2か月)
- 令和7年3月場所:新入幕
- 令和7年9月場所:新三役(西小結)
- 令和7年11月場所:初優勝(12勝3敗)、殊勲賞・技能賞のダブル受賞、大関昇進確実
- 令和8年1月場所:大関として初場所で優勝(12勝3敗)
幕内での通算成績は75勝30敗12休(8場所)。生涯戦歴は135勝42敗12休(17場所)だ。令和7年11月の初優勝の瞬間、日本にいる「兄貴分」の山中氏は「人生で一番うれしい日」と感激したという。
大関陥落と「幻の弁当」
順風満帆に見えた安青錦に試練が訪れたのは令和8年3月場所のことだよ。東大関として臨んだこの場所で7勝8敗の負け越し。大関は負け越すと翌場所が「カド番」となり、10勝以上を挙げれば地位を保てる。だが5月場所は初日から全休(12日目時点で0勝0敗12休)という事態になってしまった。
このままでは「特例復帰」——途中出場して残り日数で10勝以上——も事実上不可能だ。もし今場所での復帰と10勝が叶わなければ、令和8年7月場所後には「大関がゼロ」になる可能性まで浮上しているというんだから、相撲界全体が固唾をのんでいるよ。
そんな中、国技館で販売されている安青錦の弁当が好調な売れ行きを見せているという。「大関陥落で幻の弁当になるかもしれない」と考えたファンが手に取っているらしい。休場中の力士の弁当がこれほど話題になるのも珍しい話で、それだけファンに愛されている証拠だろうね。
一方で厳しい声もある。「相撲を取る稽古をしなさすぎ」という痛烈な指摘で、急激な出世の陰で基礎稽古が十分でなかったのではないかという見方も出ている。大関昇進披露宴も予定されていたというから、皮肉な話さ。
まとめ——試練を越えてこそ、本当の大関だ
おじさんに言わせれば、7歳から相撲を始め、戦火のウクライナを離れ、17歳11か月で日本に渡り、わずか17場所で大関まで駆け上がった男が今、大きな試練の真っ只中にいる——それがこの安青錦 新大という力士の物語さ。
座右の銘が「ありがとうございます」という言葉を選んだ22歳だよ。ウクライナからの壮絶な道のりを思えば、今の苦境もきっと乗り越えてみせるはずだ。次にあの大きな体が土俵に戻ってくる日を、おじさんも楽しみに待っていようじゃないか。
うんちくおじさんの豆知識コーナー
大相撲の「外国出身力士は各部屋1人まで」ルール、いつできたか知ってるかい?
これが導入されたのは2002年のことだよ。当時は朝青龍をはじめモンゴル出身力士が急増していた時期で、日本人力士の活躍の場を守るために設けられた規制さ。さらに2010年には「日本国籍取得者は外国出身枠から外れる」という補足ルールも加わった。
このルールのせいで、来日直後の安青錦は「外国人力士の枠が埋まっている」という理由でいくつもの部屋に断られ続けた。山中氏が「色々な部屋に声をかけ、断わられた」と証言しているほどだよ。それでも受け入れてくれた安治川部屋の師匠への感謝は計り知れないだろうね。
ちなみに安青錦の好きな音楽は「河島英五」、好きな漫画は「はじめの一歩」、好きなテレビ番組は「ジャンクSPORTS」。日本の文化を一生懸命吸収してきた証拠さ。