やあやあ、今日もうんちくおじさんが登場だよ。
今日の話題は今江敏晃さんだ。プロ野球ファンなら「あの人か!」となるだろうけど、若い子にはちょっと馴染みが薄いかもしれないね。でもね、この人の野球人生ってのは、ドラマどころじゃない波乱万丈なんだよ。おじさん、じっくり語らせてもらうよ。
今江敏晃という男、その素顔
今江敏晃さんは1983年8月26日、京都府生まれ。身長180cm、体重89kgという体格を持つ元プロ野球選手だよ。ポジションは三塁手(サード)。2001年のドラフトでロッテに3巡目指名で入団し、2002年から2015年まで14年間、千葉ロッテマリーンズの主力として活躍した。プロ通算1704試合に出場という堂々たる数字を残しているんだ。
趣味はゴルフ、釣り、ショッピングと多彩で、テレビ出演も多かったから野球ファン以外にも顔が知られているね。
2005年日本シリーズ「奇跡の8打席連続安打」
おじさんがまず紹介したいのは、2005年の日本シリーズだよ。
この年、ロッテはパ・リーグ3位から日本一を達成するという快挙を成し遂げたんだけど、そのシリーズでとんでもない記録が生まれた。今江さんが8打席連続安打を達成したんだよ。これが日本シリーズ史上の日本記録として今も残っている。
結果、今江さんは日本シリーズMVPを受賞。この年はさらにベストナイン、ゴールデングラブ賞(三塁手部門)も獲得して、まさにキャリアの絶頂期さ。
そして翌2006年、第1回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)では日本代表に選ばれ、日本の世界一にも貢献した。あの歴史的な大会で日本を優勝に導いたメンバーの一人だよ!
ゴールデングラブ賞4連覇という守備の実力
打撃だけじゃないんだよ、これが。今江さんはゴールデングラブ賞(三塁手部門)を2005年・2006年・2007年・2008年と4年連続で受賞しているんだ。守備でも一流だったことを示す立派な実績だろう?
2010年には再びロッテが日本一を達成し、今江さんは日本シリーズMVPを2回目受賞。同じシリーズで2回MVPを獲るって、なかなかできることじゃないよ。
楽天監督就任から電撃解任まで
現役引退後の今江さんは、楽天でコーチとして指導者の道を歩んだ。育成コーチ(2020年)→二軍打撃コーチ(2021年)→一軍打撃コーチとステップアップし、2024年についに東北楽天ゴールデンイーグルスの監督に就任したんだ。
監督としての成績は決して悪くなかった。球団初の交流戦優勝を果たし、シーズン終盤まで3位争いに食らいついてクライマックスシリーズ(CS)進出をギリギリまで目指した。
しかし2024年10月10日、電撃解任の知らせが届く。球団からはただひと言「今シーズンをもちまして契約を終了します」だったという。続投が既定路線と見られていただけに、野球ファンに衝撃が走ったね。
今江さん本人は解任後のインタビューで「続けるつもりでいた。若い選手が来季の軸になってくれればというビジョンがあった」と語っており、まだまだ道半ばという無念さが伝わってくる。
おじさん的にひとこと
おじさんに言わせれば、球団初の交流戦優勝を達成して、最後まで3位を争ったんだから十分な成果じゃないかと思うよ。プロの世界は結果がすべてとはいえ、あの解任劇はちょっと釈然としないものがあるねえ。
今は「タレント今江」として第二の人生
監督退任後の今江さんは現在、タレントとして活動中だよ。2025年10月からは「東西アスアンバサダー」にも就任した。
これまでにも「行列のできる法律相談所」(日本テレビ)、「とんねるずのスポーツ王は俺だ!」(テレビ朝日)、「バース・デイ」(TBS)など数々の人気番組に出演してきた実績がある。野球の話だけじゃなく、ゴルフや釣りなどの趣味でも話せる多彩な人物だから、これからのメディア活動にも期待できるよ。
まとめ
どうだい、今江敏晃さんの野球人生って、なかなか見応えがあるだろう?
PL学園での絶望的な夏、ドラフト1位でなく3位での入団という出発点、そして2005年日本シリーズでの8打席連続安打という金字塔、ゴールデングラブ賞4連覇、第1回WBC世界一……何度も試練に直面しながら、そのたびに前を向いてきた人物だよ。
楽天監督としての電撃解任という新たな試練も経験したけれど、PL学園時代の「涙も出ない絶望」を知っている人間が、そう簡単に折れるとは思えないな。タレントとして、指導者として、次のステージでどんな姿を見せてくれるか、おじさんは楽しみにしているよ。
それじゃ、またうんちく話をするよ!
おじさんのうんちくコーナー:PL学園「最強世代」の悲劇
ちょっと聞いてくれよ、今江さんのPL学園時代の話をね。
PL学園(大阪府富田林市)といえば、1978年と1983年に全国制覇を果たした甲子園の名門校だ。今江さんの世代は「最強世代」と呼ばれていたほど実力が揃っていた。1年時から主軸を担い、2年夏には4番として甲子園に出場したんだよ。
ところが3年の主将として迎えた最後の夏、悪夢が訪れる。2001年6月、部内での暴力事件が発覚し、チームは半年間の対外試合禁止処分を受けることになった。大阪府予選すら戦えずに高校野球が終わったんだ。
「涙も出ない、絶望感だった。現実を受け入れるのに時間がかかった」と今江さんは振り返っている。主将として後輩に謝り、伝統を築いた先輩にも申し訳ないと頭を下げた。
その後、スカウトの注目は変わらず、2001年のドラフトでロッテが3巡目で指名。甲子園の絶望を乗り越えて、プロの世界でこれだけの記録を残したんだから、人間ってのは強いもんだよ。