やあやあ、久しぶりだね。今日はおじさんが東京の中でも「知る人ぞ知る」魅力を持つ街、荒川区について語ろうと思う。最近、荒川区がInstagramのキャンペーンでフォロワー数を約6.4倍にまで増やしたってニュースを見てね、「おっ、荒川区もやるじゃないか」と思ったわけだよ。まあ、聞いてくれよ。
荒川区って、どんな街なんだい?
荒川区は東京都の北東部に位置する特別区で、面積は10.16km²。これ、東京23区の中で22位という小ささなんだ。でも、2026年3月時点の人口は22万5,620人、人口密度は1km²あたり2万2,207人という、なかなかの密度だよ。
区の北側の境界線はあの有名な隅田川に沿っていてね、東西に細長い形をしている。地形はほぼ低地で平坦なんだけど、日暮里地区の一部だけは山手台地になっている。最高地点は西日暮里三丁目付近で海抜20.9m、でも大部分は0〜3mという低い土地なんだ。
区の誕生は1932年(昭和7年)10月1日。東京市の区域拡張に伴って、北豊島郡の南千住町・三河島町・尾久町・日暮里町という4つの町が東京市に編入されて荒川区が発足したんだ。面白いのはね、発足から1945年ごろまで、荒川区は東京市内で最も人口の多い区だったんだよ!当時の人口はおよそ28〜32万人。今でも多いけど、当時はもっとすごかったわけだ。
おじさん的に気になる荒川区の深い話
人口の不思議な推移
荒川区の人口推移を見ると、実に興味深い動きをしていてね。1970年(昭和45年)には24万7,013人いたのが、その後どんどん減って1995年(平成7年)には17万6,886人まで落ち込んだ。ところが2000年代から回復を始めて、2010年には20万3,296人、2020年には21万7,475人と着実に増えてきたんだ。今や22万人超えというわけだから、都市の新陳代謝って面白いよな。
歴史の重さが違う
ここからが本番だよ。荒川区の歴史を語るうえで外せない話がある。現在の南千住駅の西側にあった小塚原刑場の話だ。江戸の三大刑場のひとつとして知られるこの場所では、江戸時代を通じて数多くの処刑が行われた。あの解体新書を著した杉田玄白が腑分け(解剖)を行ったのもここで、1771年(明和8年)のことだ。現代医学の礎がこの荒川区の地で築かれたと思うと、なんとも感慨深いじゃないか。
SNSで大変身!荒川区の令和的な挑戦
最近の荒川区で特に注目すべきニュースがあってね。荒川区が取り組んだInstagramキャンペーンが大きな成果を上げたんだ。このキャンペーンを通じてフォロワー数がなんと約6.4倍にまで急増したという。
荒川区は公式サイト(city.arakawa.tokyo.jp)でも「ArakawAmazing!」という観光情報・魅力紹介ページを設けていてね、区の情報をSNS等で積極的に発信しているんだ。あらかわ遊園(都内唯一の区立遊園地)や谷中銀座商店街、図書館と子育て支援施設が一体となった複合施設「ゆいの森あらかわ」、そして荒川総合スポーツセンターなんかも、区の魅力として全国に発信されているわけだ。
区長は滝口学氏で、定例記者会見も積極的に開いている。直近では2026年4月23日に定例記者会見が予定されていてね、区政の情報公開にも力を入れているんだよ。
荒川区の自然と文化
面積が小さいながらも、荒川区には緑や自然体験の場が意外と多いんだ。ビオトープのヤゴ採集&観察会なんてイベントも2026年4月21日に開催されたばかりだし、生き物コレクションアプリ「Biome(バイオーム)」と連携した自然観察活動も行われている。
そして文学ファンに教えてあげたいのが「奥の細道 千住まちあるきツアー」。あの松尾芭蕉が1689年(元禄2年)に奥の細道の旅に出発したのが千住なんだ。江戸時代から令和まで、荒川区は歴史と文化が重なり合う場所なんだよ。
まとめ — 荒川区、侮れないぞ!
どうだい?荒川区って、面積は小さいのに歴史の密度がものすごく濃い街だろう?江戸時代の農村から明治の工業地帯へ、そして現代はSNSで全国にその魅力を発信する街へと変貌してきた。フォロワー数6.4倍というSNS戦略の成功も、単なるキャンペーンじゃなくて、それだけ語れる魅力が詰まってるからこそだよ。
22万5,620人が暮らす、この東京23区で22番目に小さな区が、実は日本近代医学発祥の地であり、松尾芭蕉の旅立ちの場所でもある——おじさんに言わせれば、これが「うんちく」というものだよ。
今度の週末、荒川区を散歩してみてはどうかい?谷中銀座で一杯やりながら、江戸から令和まで続く街の歴史に思いを馳せる——そんな休日も悪くないよ。じゃあ、またな!
うんちくおじさんの豆知識コーナー!
荒川区は江戸時代には農村地帯だったんだが、明治時代に入ってから大きく変わった。隅田川(当時は荒川と呼ばれていた部分もあった)の豊富な水を工業用水に使うため、明治期から昭和初期にかけて多くの工場が次々と建設されたんだよ。それが荒川区を一大工業地帯に変えた。区の名前の由来でもある「荒川」だが、実は現在の「荒川」は1930年代に開削した人工の放水路で、かつての荒川下流は今の「隅田川」なんだ。つまり荒川区を流れているのは厳密には「隅田川」であって、「荒川」本流は区の外を流れているという、なかなか紛らわしい話なんだよ!