やあやあ、久しぶりに居酒屋の話をしようじゃないか。
最近、街を歩いていたら「うぬぼれ続けて創業40周年 ありがとうフェア」なんて幟(のぼり)が目に入ってさ。そう、あの鳥貴族が2026年にめでたく創業40周年を迎えているんだよ。おじさんも思わず「おお、もうそんなになるか」と感慨深くなったね。
2026年4月1日からは第5弾フェアがスタートして、創業初期に人気を博した「とり天マヨ串」の復刻や、温泉卵を使った新感覚スイーツ「温玉deプリン」など全8品の期間限定メニューが登場しているんだ。千葉県佐倉市の王子台店でも盛り上がっているし、全国の店舗で賑わっているぞ。
鳥貴族の誕生と「全品均一」という革命
まあ、聞いてくれよ。鳥貴族の創業は1985年、大阪府東大阪市でのことだ。創業者は大倉忠司(おおくら ただし)氏。当時の居酒屋業界といえば、メニューによって値段がバラバラで、酔っ払った勢いで頼んだらびっくりするような金額になることもザラだった。
そこで大倉氏が打ち出したのが「全品均一価格」というコンセプトだ。「何を頼んでも同じ値段」というシンプルさが、サラリーマンや若者たちの心をつかんだんだよ。創業当初から「安くておいしい焼き鳥」を武器に関西で着実に店舗を増やし、やがて全国展開へと進んでいった。
「28年間値上げなし」から「28年ぶりの値上げ」へ
ここがまた面白いんだけどね。鳥貴族は長らく税抜き280円均一という価格を守り続けていた。1989年に消費税が導入されても、1997年に税率が上がっても、ひたすら280円を維持していたんだよ。
ところが2017年10月、実に28年ぶりの値上げを断行して税抜き298円均一に改定した。たった18円の値上げだが、これがニュースになってしまうくらい「安さの象徴」として社会に浸透していた証拠だろう?
その後もじわじわと値上げが続き、現在は税抜き360円均一となっているが、それでも「リーズナブルな焼き鳥チェーン」としての地位は揺るぎないね。
40周年フェアで復活!「とり天マヨ串」の秘密
今回の「ありがとうフェア」第5弾で注目を集めているのが、創業初期に人気を誇った「とり天マヨ串」の復刻だ。
「とり天マヨ串」とは、ふっくらと揚げたとり天にマヨネーズを組み合わせた一品。シンプルながらジューシーな鶏肉とコクのあるマヨネーズのハーモニーが、創業期のお客さんたちに愛されたんだよ。長年メニューから姿を消していたこの串が、40周年という節目に帰ってきた——これはファンにとってはたまらないだろう。
さらに新感覚スイーツとして登場した「温玉deプリン」も話題だ。温泉卵(温玉)をプリンに使うという発想、おじさんも最初は「え?」と思ったけど、温玉のとろりとした食感とプリンのなめらかさが意外にマッチするらしい。居酒屋でスイーツを楽しむ文化が定着してきた証拠でもあるね。
店舗数600超、売上高700億円超の巨大チェーンへ
おじさんに言わせれば、鳥貴族の成長軌跡はなかなかドラマチックだよ。
2024年度時点で国内の店舗数は約630店舗にまで拡大し、年間売上高は700億円超の規模に達している。創業当時の東大阪の1軒から、40年で日本を代表する焼き鳥チェーンへと成長したわけだ。
「全品均一」の看板を守りながら、ここまで大きくなれた背景には、食材の品質管理と独自のサプライチェーン構築がある。特に鶏肉の仕入れには力を入れており、国産鶏にこだわった調達体制を維持しているんだよ。
まとめ — 40年間、変わらない「気軽さ」の価値
さてさて、長々と語ってしまったけど、鳥貴族の40年間って、要するに「気軽に楽しめる場所」を守り続けた歴史なんだよね。
1985年の創業から、28年間の価格据え置きを経て、全国600店舗超の大チェーンになった今も、根っこにある「誰でも貴族気分で飲み食いできる」という精神は変わっていない。
今回の「ありがとうフェア」で復活した「とり天マヨ串」を口にしながら、「ああ、鳥貴族ってずっとこういう店だったんだな」と感じてみるのも悪くないんじゃないかい?
近くに鳥貴族がある人は、ぜひ第5弾フェアが終わる前に足を運んでみてくれよ。おじさんも今夜一杯やりに行こうかな、なんてね。
うんちくおじさんの豆知識コーナー
鳥貴族の「貴族」ってどういう意味?
「鳥貴族」というネーミング、なんで「貴族」なんだろうって思ったことないかい?
実はこれ、「鶏(とり)料理を貴族のように楽しんでほしい」という意味と、「誰でも貴族気分で気兼ねなく飲み食いできる」という庶民派の逆説的な思いが込められているんだ。値段は庶民的でも、気分は貴族——なかなかしゃれたコンセプトだと思わないかい?
ちなみに英語表記は「TORIKIZOKU」で、海外でもそのまま通用する名前になっているぞ。
焼き鳥の「串」は日本独自の文化?
焼き鳥自体のうんちくも一つ。鶏肉を串に刺して焼く料理は日本に古くからあるが、現代的な「焼き鳥屋」が街中に広まったのは明治時代後期から大正時代にかけてのこと。屋台文化とともに発展し、特に第二次大戦後の闇市・露天商文化から大衆居酒屋へと形を変えていったんだ。
鳥貴族が得意とする「とり天」(天ぷら風に揚げた鶏肉)は大分県が発祥とされており、1920年代に大分市内の食堂が考案したという説が有力だよ。