やあやあ、久しぶりだね。今日はちょっと聞いてくれよ——東京都にありながら、まるで別世界のような島の話をしようじゃないか。そう、八丈島のことだよ。
最近、トラベルボイスが「台風被害からの復興とエコツーリズムへの期待」として八丈島の現在地を特集していたり、マイナビウーマンが「陸からクジラに会える!」なんてキャッチコピーで島の魅力を紹介しているのを見て、おじさんはもう居ても立ってもいられなくなったわけさ。
東京都なのに南国!?八丈島ってどんな島?
八丈島は東京都心から南へ約287kmのところに浮かぶ島で、飛行機で約55分、東海汽船の夜行船だと約10時間で行ける場所だよ。面積は約72.23km²、人口は2025年時点で約6,800人の小さな島さ。
でもね、「東京都」と聞いて侮っちゃいけない。年間平均気温は約18℃で、冬でも気温が10℃を下回ることはほとんどなく、島バナナやパッションフルーツが自生する亜熱帯気候なんだ。本州とはまったく違う植生と景観が広がっているわけさ。
島のシンボルは標高854mの八丈富士(三原山とも呼ばれる西山)と、標高701mの三原山(東山)の二つの火山。この二つの山が肩を並べている姿は、実に堂々としたものだよ。
陸からクジラが見えるって、マジか!?
おじさんが今回の話題で一番「さすがだな」と唸ったのが、クジラの話だよ。
八丈島では毎年1月から4月ごろにかけて、ザトウクジラが南方の繁殖地から北上する回遊ルートにあたるため、陸地から肉眼でクジラを観察できることがあるんだ。島の展望台や海岸線から双眼鏡を持って立っていると、沖合でザトウクジラが豪快にブリーチング(体を海面から飛び出させる行動)する姿が見られることもある。ボートツアーなら至近距離での観察も可能で、これがエコツーリズムの目玉の一つになっているんだよ。
マイナビウーマンの記事でも紹介されていたが、島グルメとセットで「パワーチャージの旅」として注目されているのも納得だね。
黄八丈——400年続く伝統工芸の誇り
おじさんに言わせれば、八丈島の文化的価値を語るうえで絶対に外せないのが「黄八丈(きはちじょう)」だよ。
黄八丈は絹織物の一種で、島に自生する植物(コブナグサ・マダミ・椎の木)から作った天然染料で染めた糸を手織りで仕上げる伝統工芸品だ。その歴史は400年以上にさかのぼり、江戸時代には将軍家や大名への献上品として珍重されたほどの逸品さ。
現在、黄八丈の織元として活動しているのは山下八百子氏(本名山下八百子)の「めゆ工房」が代表的で、国の伝統的工芸品にも指定されている。あの独特の黄色と黒と茶のコントラストは、他のどんな織物にもない存在感があるよ。一反の価格は数十万円から百万円超えのものもあり、着物通のあいだでは垂涎の的だね。
台風被害からの復興と、エコツーリズムへの挑戦
トラベルボイスの取材記事によると、八丈島は近年の台風被害による農業・観光業へのダメージから立ち直りを図りながら、エコツーリズムを軸にした観光ビジョンを打ち出しているんだ。
八丈島の年間観光客数はコロナ前の2019年時点で約11万人(東京都島しょ振興公社データ)だったものが、コロナ禍と台風被害が重なって大きく落ち込んだ。それでも島の関係者たちは「量より質」の観光——つまり自然環境を守りながら深く楽しんでもらうエコツーリズムへの転換で、島の持続可能な未来を目指しているんだよ。
具体的には、クジラウォッチング、ダイビング(八丈ブルーと呼ばれる透明度の高い海が自慢)、火山地形のトレッキング、黄八丈の染色体験などを組み合わせた体験型観光が注目されている。東京から日帰りも不可能ではない(飛行機なら)のに、完全に「非日常」を味わえる——そんな島の強みを活かした戦略さね。
おじさんのまとめ
どうだい、八丈島の話、なかなか濃かっただろう?
「東京都の離島」という肩書きに油断していたら、流人の歴史あり、400年の伝統工芸あり、陸からクジラが見えるという驚きあり——本当に奥が深い島なんだよ。
しかも今、台風被害から立ち上がりながらエコツーリズムで未来を切り拓こうとしている島の人たちの姿には、おじさんも正直グッときたよ。ゴールデンウィークや夏休みに「どこ行こうかな」と迷っているなら、ぜひ八丈島を候補に入れてみてくれ。島バナナと島寿司(ヅケのネタが特徴的なんだよ!)を頬張りながら、八丈富士を眺める——それだけで十分すぎる旅になると保証するよ。
じゃあ、また豆知識で会おうじゃないか!
おじさんの豆知識コーナー:八丈島は江戸時代の「流刑の島」だった!
まあ、聞いてくれよ。八丈島といえば現代では観光地のイメージが強いけれど、江戸時代には幕府公認の流刑地だったんだ。記録に残る最初の流人は1606年(慶長11年)で、関ヶ原の戦いで敗れた豊臣方の武将・宇喜多秀家がそのひとり。彼は何と1655年に84歳で島に没するまで、約50年間を八丈島で過ごしたんだ。
江戸時代を通じて八丈島に流された流人の数は1,800人以上と記録されており、彼らが島の文化や農業技術に与えた影響は小さくない。現在でも島内には「流人墓地」が保存されており、歴史の重みをひしひしと感じられる場所になっているよ。
また、幕末の志士・近藤富蔵(旗本・近藤重蔵の子)も八丈島に流され、島で38年間を過ごしながら『八丈実記』という詳細な島の記録を残している。これが現在でも八丈島の歴史を知る貴重な資料になっているんだから、人生って分からないもんだね。