やあやあ、うんちくおじさんだよ。
今日はプロ野球の話をしようじゃないか。阪神タイガースのエース左腕、大竹耕太郎のことを、おじさんがたっぷり語ってあげるよ。「え、そんな投手知らない」って? まあまあ、ちょっと聞いてくれよ。これが知れば知るほど面白い、ドラマチックな野球人生なんだ。
一度は「戦力外」になった男が、なぜここまで来たのか
大竹耕太郎、1994年10月3日生まれ、福岡県出身。柳川高校から早稲田大学に進学し、2017年のNPBドラフトで福岡ソフトバンクホークスに4位指名された左腕投手さ。
ところがどっこい、ソフトバンクでは思うように出番が得られなかった。1軍登板はわずかで、2020年オフには戦力外通告を受けてしまったんだ。26歳での現実は、なかなか厳しいものがあるよね。
そこで拾ったのが阪神タイガース。トライアウトを経て育成契約から再スタート。「まさかここから」と思った人も多かっただろう。
ところが、この大竹耕太郎という男、阪神の投手コーチ陣の指導のもと、カットボールを磨き上げた。打者の手元で微妙に変化する精巧なカットボールと、ゆったりとした左腕から繰り出される130km台のストレートの組み合わせが、打者に「速く見せる」という視覚的トリックを生み出すんだ。
2023年、まさかの大ブレイク
阪神タイガースが38年ぶりの日本一を達成した2023年シーズン。大竹耕太郎はそのキーマンの一人だった。
シーズン成績は16勝5敗、防御率1.72。これは2023年のセ・リーグ投手陣の中でも圧巻の数字だよ。しかも試合を作る安定感が抜群で、先発として143回1/3イニングを投げ、奪三振127を記録した。
そして球界最高の先発投手に贈られる沢村賞を見事受賞。沢村賞は1947年に創設された歴史ある賞で、完投数・防御率・勝利数など7項目の選考基準がある。選ばれた年に全ての基準を満たさなくても選考委員会が総合的に判断するんだが、大竹はその価値を十分に示した。
そして忘れられないのが日本シリーズ。阪神対オリックスのKANSAIダービーで、大竹は第1戦の先発マウンドに上がり、6回1失点の好投でチームの勝利に貢献した。最終的に阪神は4勝3敗でオリックスを下し、1985年以来38年ぶりの日本一。岡田彰布監督が2度目の胴上げを受けた瞬間は、甲子園を超えた日本全体が揺れた気がしたよ。
おじさんが語る、大竹耕太郎の「技術的秘密」
左投手のカットボールがなぜ効くのか
大竹の最大の武器はカットボールだと言ったけど、なぜ左投手のカットボールが特別なのか、説明してあげよう。
右打者にとって、左投手のカットボールは「一瞬ストレートに見えてから内角に食い込んでくる」という動き方をする。これが詰まったり、バットの芯を外されたりする原因になるんだ。しかも大竹の球速は最速で145km前後と、エース級の中では特別速いわけじゃない。でも「ゆったりとした腕の振り」から繰り出されるために、打者は「あれ、速く感じる」という錯覚に陥る。これを野球界では「体感速度」と呼んでいるよ。
戦力外から這い上がった選手の共通点
NPBでは毎年10月に各球団が「戦力外通告」を行う。2023年オフだけでも、12球団合計で100名以上の選手が通告を受けたとされている。その中でトライアウトを経て再契約に至るのはごくわずか。大竹耕太郎のような「再起組」の成功例は、野球ファンにとって最もエモーショナルなストーリーの一つなんだ。
過去にも「戦力外→再起→活躍」という例はある。2000年代には読売ジャイアンツを戦力外になった後にソフトバンクで復活した選手がいたし、近年では中日ドラゴンズからリリースされた投手が他球団で開花したケースも複数ある。大竹の場合は特に「ソフトバンクという球界有数の強豪から戦力外」という点で注目度が高かっただけに、阪神での活躍はより印象的に映ったんだよ。
まとめ:諦めなかった男の話
おじさんに言わせれば、大竹耕太郎の話は「才能」だけじゃなく「諦めない姿勢」と「出会いのタイミング」が重なった話だと思うんだ。
ソフトバンクでの4年間が無駄だったわけじゃない。あの経験があったからこそ、阪神で磨き直す土台があった。カットボールという武器も、指導者との出会いがあってこそ開花したんだ。
2024年以降も阪神タイガースのローテーションを支え続けている大竹耕太郎。これからどんなうんちくを積み重ねていくのか、おじさんは目が離せないよ。
さあ、次の登板も一緒に応援しようじゃないか。やあやあ、また会おうね!
おじさんの豆知識コーナー:沢村賞ってどんな賞?
まあ、聞いてくれよ。沢村賞について、ちょっと深掘りしてやろう。
沢村賞の正式名称は「沢村栄治賞」。昭和初期の大投手・沢村栄治を称えて1947年に創設されたんだ。沢村栄治は1934年、来日した大リーグ選抜チーム(ベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグら17名の殿堂入り選手を含む)を相手に1対0で完封勝利寸前まで迫った伝説の投手。最終的には1対0で敗れたが、その投球はアメリカの選手たちを驚嘆させたと伝えられている。
沢村は戦後に復員することなく1944年に25歳で戦死した。その名を冠した賞は、完投10試合以上・防御率2.50以下・勝利数25以上…など7つの基準が設けられているが、現代野球は先発投手の分業制が進んでいるため、全基準を満たす投手はほぼいない。それでも選考委員会が「最もその精神を体現した先発投手」を選ぶという形で続いている。大竹耕太郎がその賞を取ったということは、ただ勝ち星が多かったということじゃなく、先発としての責任感と質の高さを認められたということなんだよ!